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第1211回<今年度第39回>2017年5月19日(金)


 会長の時間
会長 : 佐々木 力
 会長の時間の回数も残りわずかとなり、毎回何を語るかと悩むものでしたがあとひと息です。今日は自然について少しお話をしてみたいと思います。毎年この時期になると飛んでくる「黄砂」、今年は量が多いと予想されています。中国のゴビ砂漠などの砂が偏西風やジェット気流に乗って日本に飛来しますが、遠くは太平洋を越えて北米まで到達するそうです。黄砂は何となく体に良くないかもしれないと思う方は多いと思いますが、どんなものかあまり実感できないという人が大半ではないでしょうか。この現象は今に始まったことではないですが、中国の経済成長と共に大気汚染が顕著となった現在では、黄砂と一緒に大気中の有害物質も運ばれてきています。昨年あたりから耳にするようになったPM2.5、黄砂の大きさは4μm、スギ花粉の5分の1で、マスクで防ぐのが難しい、花粉よりもさらに小さい粒子です。砂の成分は炭酸カルシウムが10%以上で、他に鉱石類や有害物質のアンモニアイオン、硫酸イオン、硝酸イオン、カビなどが含まれているそうです。黄砂によるアレルギー(黄砂症)はどういう症状が出るかというと、目、鼻、気管支、皮膚などにあらわれます。目に入れば不快感やかゆみ、アレルギー結膜炎を発症します。また鼻に入ると鼻水やくしゃみアレルギー性鼻炎の症状を引き起こします。気管支に入ると喘息を誘発させる場合もあります。黄砂に含まれるカビ、ダニ、ホコリなどが原因でアトピー性皮膚炎などを発症する場合もあります。花粉症と似たような症状が出るので、花粉症だと思っている人がいるかもしれませんが、黄砂の飛来とアレルギーが出る時期が重なるようなら黄砂アレルギーの可能性もあります。また両方を併発している場合もあるかもしれません。粒子が細かいので気管支に入ったり、肺の奥まで侵入して蓄積され、症状を長引かせることもあります。黄砂アレルギーの薬はないそうで対処療法しかないそうです。風が強く黄砂が飛んで、空が黄色く煙っているように見える日は外出を控える。外出しなければならない時はPM2.5対応のマスクやめがねなどを着用して予防策を講ずる必要があります。このように黄砂は身体や建物、洗濯物、車などが汚れる被害を与え、何も良いことがないように見えますが、実は自然環境では重要な役割を果たしているという指摘があります。飛来する砂は堆積物で土地を肥やす効果があり、生物の生育に必要なミネラル分も含まれており、陸だけでなく海のプランクトンの生育などに寄与しているそうです。〝功罪相半ばする"という言葉がありますが、日常生活においては罪の方が多いのではと感じます。
 最後にテーブル上の四つの缶へと何か良い事がありましたらニコニコボックスへのご寄付をお願いし、会長の時間といたします。


 新会員スピーチ


大嶋 健 会員

 皆さん こんにちは今年三月に中村瑞樹先輩の紹介で入会しました 大嶋 健 と申します。
入会後まもなく屋根の上での打ち合わせで、梯子が滑り自分もそのままコンクリート地面に落下しました。そして、足首の骨折で一か月半お休みしておりました。原因は日頃の安全確認を怠った為です。いつも言い伝えている立場の自分がこうなって示しがつきませんでした。先日、同じように梯子から落ち亡くなった方がおります。打ち所が悪ければ自分も死んでいたのでは、と、思うとゾッとします。この場を借りてご報告させていただきます。
 これより新会員スピーチに移らせていただきます。私はS41年8月6日生まれの50歳です。潟上市の追分地区にマイホームを持ち、妻、子供3人の5人家族で住んでおります。出身は能代市で中学を卒業しましたが、地元高校の入試に滑り落ち秋田市の高校へ入学する事となりました。そのきっかけで 秋田市に住むようになりました。当時の秋田は自分にとっては衝撃的でした。なぜなら朝夕の通勤、通学ラッシュ、駅前から広小路の人の多さ遅くまで営業している商店街、夜になると広小路を改造した車やバイクがクルクル回っている事などです。自分は都会人になったーという気持ちでした。自分は親元から離れた解放感から毎日遊ぶようになりました。週末は広小路へ通いはじめ女性や車、バイクを見るのを楽しみにしていました。4か月後には、免許を取り、バイクを買い自分も広小路をクルクルと回っていました。それから、1年数か月後、免許取り消し、さらに学校も退学なり、能代の実家へ帰ることとなりました。私の職歴です。最初の就職先は、家業の印刷屋(大潟印刷)へ就職しました。その頃は、工場内の掃除、印刷機械の見張り役、袋とじなど、暇を持て余す毎日でした。車の免許を取ったら、また、秋田へ行こうと毎日の様に思っていました。18歳になり免許取得後、秋田のGSへ就職しました。GSへは、不特定多数の職業の方がいらっしゃいます。自分はそこでの3年間、お客様への接し方、販売力など学びました。企業の社長さんから色々な話を聞くことができました。独立心を得たのも、ここでの3年間でいろんな知識を得ることができたからだと思います。GSを退職後、営業職をしました。販売では東北トップで表彰された経験もありましたが、自分で得た情報の中で、車業界で廃タイヤ処理が問題になっていると聞き、すぐ調べました。すると、能代でタイヤ焼却処分場が出来たという事を聞き向かいました、営業を募集との事ですぐ転職しました。県内各地へ営業し工場があふれるほどのタイヤを集めました。ところが、2年後ダイオキシン問題が起き、施設に莫大な費用をかけなければ営業ができなくなるとの事で、2年間の猶予期間中、得意先でもあった中古車販売店の業種へ、興味を持っていました。当時、小規模型の店舗は少なく需要は間違いなくあるだろうと決断し、思い切って開業しました。タイヤ、オーディオ含めカー用品販売、また、欲しい車の注文をいただき、関東のオークション会場から仕入れて販売しておりました。そこで、瑞樹先輩と再会し、中古車を購入いただきました。順調に売り上げも伸びておりました。開業5年目のころ、新車ディラーのリストラが始まり、辞めた方々が、中古車業界に参入してきました。6、7年目には、売り上げも落ち、閉店する事になりました。瑞樹先輩と再会後からお付き合い頂く様になり、閉店後は、産廃処理の取引をさせて頂く事となりました。当時36歳で、預金もほとんど無く、もう、次は無いと自分に言い聞かせ、死に物ぐるいで稼ぎました。これが現在のケン開発の始まりです。開業してから、14年目の現在は、解体工事はもとより、外構エクステリア工事、土木工事を全般に行っております。以前の業種より、業種の種類が多く学習することが山ほどあり、やりがいの有る仕事と思っております。10代の頃、瑞樹先輩と出会い、これからの自分にとって人生学習する機会を与えて頂きました。平成21年にはYEG入会の紹介を頂き、8年間在籍しいろいろ学ばせていただきました。
 YEGで得た知り合いの方々の知識は、自分の財産と思っております。また、YEG卒業後、このたび、ロータリークラブへの入会のきっかけを頂き、うれしく思っております。まだ、活動はしておりませんが、皆様、これから、ご指導、ご鞭撻よろしくお願いします。ご清聴ありがとうございました。

 インフォーマルミーティング開催


●ロータリー情報委員長:長門孝会員
●新会員:小野隆史会員






【出席報告】
例会日 会員数 出席数 欠席数 出席数 メークアップ
5月19日 39名 28名 11名 71.79% 5名
5月12日 39名 32名 7名 82.05% 7名
4月21日 39名 34名 5名 87.18% 1名

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