本文へスキップ

第1333回<今年度第28回>2020年2月14日(金)


 会長の時間
会長:阿部 大助
 皆さん、こんにちは。せっかく降った雪ですが、だいぶ解けてきました。やはり2月に雪ではなく、雨が降るのは気持ち悪いです。
 新型コロナウイルスによる肺炎、COVID19と名前が付けられました。MERS(中東呼吸器症候群)のように地域を含む名称にしなかったのは、発生した地域への非難がなされないように配慮されたようです。SARSも本来は「重症急性呼吸器症候群」の略ですが、中国の特別行政区(Special Administrative Region in China)の略称の一部を含んでいるため、香港市民からは嫌われた経緯があります。AIDSもウイルス分類学者が介入するまでは、非公式にGRID(Gay-Related Immune Deficiency:ゲイ関連の免疫不全)と呼ばれていたそうです。同性愛嫌悪からくるデマの拡散によってこのように呼ばれる結果となりました。現在ではスペイン風邪、クロイツフェルト・ヤコブ病や鳥インフルエンザなどのように地名、人物や動物に因んだ名称は使えなくなっています。
 さて、ガバナー公式訪問の時に嶋田ガバナーから「これ読んでおいて」と渡された本が2冊あります。「米山梅吉ものがたり 奉仕の心で社会を拓く」と「米山梅吉遺しし言の葉」です。他に買っていた本もあり、ようやく先日読み終えました。
 米山梅吉は慶応4年1868年2月東京芝で武士・和田竹造の三男として生まれました。この年旧暦9月に明治に改元されています。5歳の時、父が亡くなり母の実家がある静岡三島に移りました。6歳のころから通った学校で成績が良かったため、米山家から養子の話が起きました。梅吉少年は文章を書くのが好きで全国版の雑誌によく投稿し、夏目金之助(のちの漱石)とともにその雑誌に掲載されました。16歳のころ、東京へ出て勉強することを決心し、だまって家をでて、3日がかりで東京につきました。その後さらにアメリカで勉強することを考え、東京府の公務員として働き、アメリカへ行くためのお金を貯め始めます。英語の習得のため東京英和学校(のちの青山学院)にも通っています。20歳になり黙って出てきた米山家から許しを得たうえでアメリカ行きを了解してもらい、この時米山家の養子として入籍しています。東京英和学校でお世話になった本多庸一先生もアメリカに来ており、その後の人生に大きな影響を受けました。アメリカ滞在時にダラスロータリークラブに入会していた福島喜三次の紹介でロータリークラブに出会っています。明治28年に帰国し「提督彼理(ペルリ)」を出版しました。この本の題字は勝海舟に書いてもらっています。また福沢諭吉とも親交がありました。翌年29歳で結婚し31歳で三井銀行に入行しますが、将来を嘱望され2年間の欧米の銀行視察を命じられます。大正3年47歳の時「新隠居論」(年寄りは後進に仕事を譲り、経験を活かして社会に尽くす仕事を進めるもの)という考え方を発表しました。そして大正9年53歳で日本にロータリークラブを設立し、新隠居論の実践に取り組み始めます。大正10年に米英訪問実業団に加わり渡米し信託業務を知り、大正13年に三井信託株式会社を創立します。また、昭和9年には三井家が設立した三井報恩会の理事長に就任、さらに昭和13年には貴族院議員に勅選されました。その前年昭和12年には私財をなげうって緑丘小学校(青山学院初等科の前身)を作り新しい教育をはじめ、春子夫人は青山学院幼稚園を作っています。昭和15年に戦争の影響でRCの国際性が軍部ににらまれクラブは解散、国際ロータリーからも脱退します。しかし戦時中も「水曜倶楽部」などと名前を変えロータリーの精神は受け継がれ、昭和24年には復興しています。米山梅吉はその復興を見ることなく、昭和21年4月に78歳で永眠しました。
 日本のロータリーは、台湾や京城(現在のソウル)、ハルビンなどにもクラブを作っています。当時日本以外のRCは植民地にクラブを作っていたのでしょうか?
 おそらく米山梅吉のことを深く勉強してもらいたくて貸していただいたのだと思いますが、ロータリーについてもだいぶ理解が深まりました。機会があれば読んでみてください。新たな挑戦も大事ですが、仕事と同じように基本をしっかり学んだ上での挑戦が必要であると改めて気づかされました。


 ロータリー情報委員会の時間

スピーチ:木元ロータリー情報委員長
テーマ:「岐路に立つ法科大学院」

 裁判員裁判,被疑者弁護,法テラスなどとともに,司法制度改革の目玉として,2004年に誕生した法科大学院と司法試験制度が岐路に立っています。全国で74校あった法科大学院のうち,学生募集を停止する法科大学院が多数あり,最終的には,全国で20校程度が存続するだけと見られています。
 法科大学院制度が失敗した理由には様々なものがありますが,弁護士の需要がそれほど大きくなかったにもかかわらず,設立された法科大学院が多すぎたこと,法曹資格を取得するための時間や費用が掛かりすぎること,司法試験の合格者が多くなり弁護士の収入が激減した結果,弁護士が魅力ある職業ではなくなったことなどが考えられます。
 これらの問題を解消するために,合格者を徐々に減少させたり,2011年には,「司法試験予備試験」を創設して,法科大学院を卒業しなくても司法試験の受験資格を認める改善策を講じましたが,却って,法科大学院の入学志望者の減少と予備試験受験者の増加という現象を招き,法科大学院制度が持つ問題点が浮き彫りになりました。
 予備試験は,本来は,経済的な理由等で法科大学院に進学できない受験者を救済しようという例外的なものでしたが,法学部の学部の学生や法科大学院在学中の司法試験の受験資格を有しない受験生が多く受験し,予備試験合格者の司法試験の合格率は70%を超えるものとなっています。
 最近では,司法試験の合格者が1,500人程度まで減少すると同時に,司法試験の受験者数も減少しており,司法試験の合格率は,25%程度になっております。法科大学院の授業料が年間100万円程度から150万円と高額なこともあって,将来,裁判官や検察官になろうとする優秀な大学生は,法学部に入学した時から,司法試験の受験勉強をはじめ,大学在学中か,法科大学院在学中に予備試験を経て,司法試験を受験しています。もちろん,大学以外の司法試験予備校で日夜受験勉強に励むのです。
 この大学以外に司法試験予備校で司法試験のための講義を受けて,受験テクニックを磨くことに邁進して,社会の常識を知らない若者が法律の実務家になることの弊害を除去するために,法科大学院制度が構築されたのですが,30年以上前に指摘された司法試験予備校の弊害が,法科大学院制度において,またしても復活しているのは皮肉としか言いようがありません。
 そのために,法曹資格を取得するための時間がかかり過ぎることの是正策として大学の学部を3年で修了して法科大学院に進学することができる所謂「飛び級」制度を拡充して,司法試験を受験するための年限の短縮のための方策を整備しました。
 また,特定の大学では,大学法学部を卒業した学生が,自分が卒業した大学が設置した法科大学院に進学する割合は徐々に低くなっております。これは,先にご紹介した予備試験の影響によるものです。東大や慶應義塾大学の学部や法科大学院の大半の学生は,司法試験の受験資格の一つである予備試験を受験します。一旦,予備試験に合格して受験資格を取得してしまえば,授業料を支払って,法科大学院に行く必要はなくなりますから,法科大学院に欠員が生じます。これが,数年間,繰り返されると,最初から法科大学院に入学することなく予備試験によって司法試験の受験資格を取得する受験者が多くなり,東大や慶應義塾大学の法科大学院の半分程度は,東大や慶應義塾大学出身の学生ではなく他の大学出身者によって占められることになるのです。
 現在,法科大学院制度は,発足後20年も経過していないこともあって,抜本的な議論はなされていませんが,法科大学院が,自然淘汰によって20校程度に落ち着いた段階で予備試験制度を含めた制度全体についての議論がなされ,抜本的な改革が行われる可能性があります。


お知らせ
ロータリー米山記念奨学会より、ソアンさんのメッセージを届けていただきました。
秋田中央ロータリークラブに
「お世話になってありがとうございます。優しくて暖かい
みなさんに出会ったり話したりすることは私に対して大切な
ことです。これからもよろしくお願いします。」
ブティ ソアン


【出席報告】
例会日 会員数 出席数 欠席数 出席数 メークアップ
2 月14日 41名 27名 14名 65.85% 5名
2 月 7 日 41名 32名 9名 78.10% 1名
1 月31日 41名 34名 7名 82.93% 1名



次 ←    → 前