ロータリーの危機
ロータリーの100年以上の歴史を見れば,これまでに何回か危機的な事態となったことがありますが,その都度,その危機を克服した歴史があります。
最初の危機は,当初のシカゴクラブが親睦と物質的互恵取引を目的としていたことから,シェルドンが提唱した職業奉仕理念の導入に反対して混乱と摩擦が生じたことです。ポール・ハリスはその打開策として,シカゴクラブの改革に拘らずに,他の大都市でのロータリークラブの創設とロータリークラブ連合会を設立して,職業奉仕理念の高揚を別の組織で掲げることによって,シカゴクラブを改革しようとしたのです。
第2の危機は,1923年の「奉仕活動の実践」を巡る論争です。ロータリー活動の主流は,職業奉仕の理念に基づく活動であると主張する一派と世の中に不幸な人がいる限りそれを救済するのが先決であるという社会奉仕活動に重点を置く一派との論争です。この論争は「Iserve」か「Weserve
」か,精神的活動か金銭的活動かまでに発展し,ロータリー分裂の危機をはらんだ論争になりました。この危機は,決議23・34によって,職業奉仕理念をロータリーの哲学に置くことを前提としながら,一定の枠を置きながらも,団体的,金銭的奉仕活動を認めることで回避しました。
第3の危機は,1929年から第二次世界大戦にかけて起こったロータリーに対する逆風です。1929年に世界大恐慌が嵐のように世界を吹きまくり,1930年,職業奉仕理念の提唱者であったシェルドンがロータリーを去ったのです。シェルドンという偉大な精神的支柱を失ったロータリーは世界大恐慌の嵐もあって,急速にその勢力を失っていくのです。1931年にはシカゴクラブの退会者数が入会者数を上回ります。1933年,この状況に対処するため,シカゴクラブのジョージ・ハーガーはシカゴ大学社会科学調査委員会に対し,シカゴクラブの徹底的な分析を依頼し,1934年に報告書を提出しました。ところが,その内容がロータリー活動に批判的であったことから,ポール・ハリスがその内容を書き直したという逸話が残っています。
この第3の危機は,アメリカ政府が戦時体制をとったことにより,何とか回避することができました。このような危機の中で,ロータリーが四つのテストを制定したことは特筆すべきことです。倒産の危機に瀕していたアルミ製品の販売会社の経営を引き受けたシカゴクラブの会員のハーバート・テーラーが経営再建のための従業員の道徳的指標の必要性に気が付き,苦労の末に捻り出したのが,この四つのテストなのです。その後,ハーバート・テラーは,1939-40年にシカゴ・クラブの会長となり,1954-55年にRI(国際ロータリー)の会長となりました。その際に,この四つのテストの版権をRIに寄付し現在にいたっているのです。