会長の時間
会長 : 白沢 啓
〈 再発見 ポリオ・プラス 〉
本日は新旧のクラブ協議会が11時からありましたが、「11時30分」に慣れ親しんでいるためか大半の皆さんがその遅い方の時刻にみえました。自分が遅刻したのを知っている人、まったく知らなかった人・・・と色々な反応や表情がみられて興味深かったですね。
さて、そのクラブ協議会の前に事務局の伊藤さんが「会長。会長は次年度はロータリー財団委員長だから、この冊子ご覧になっておいた方がいいですよ」と差し出したのがこの「思い出草」です。
1994年6月20日が初版のこの冊子、2016年4月1日付けで再度の発行ということになるもの。22年の歳月を超えてまた全国のロータリアンの手元に東京麹町クラブさんから届いたのでした。なにが書いてあるかと、好奇心満々で目を通したその先に、意外な文面が綴られていました。
その冊子には山田彝(つね)さんと峰英二さんという二人のロータリアンの命と引き替えに尽力したインドでのポリオ撲滅運動を一顧できるもので、各方面から寄せられた哀悼と回顧の手紙を載せた文集となっていました。
実は、ポリオ・プラス運動というRIの主要な活動は、この二人の日本人が端緒を切ったものだったのです。私はポリオ・プラス運動は欧米主導の事業から始まったと誤解していたのです。
山田彝さんは1924年生まれ。堪能な複数の外国語をあやつり、国際ビジネスコンサルタントとしてご活躍し、1982年「RI3Hインドはしか免疫プロジェクト」のボランティアに選ばれて南インドで1ヶ月奉仕活動を行いました。インドの320地区~323地区を主活動エリアとして、経口ポリオ生ワクチンの冷凍保管コールド・チェインの整備などを行ったといわれます。当時のインドはまだまだインフラ整備に遅れており、衛生面では宗教の関係もあって最悪だったと書かれています。そんな街中には、ポリオに脚を引きずる子供達がたくさん見られ、山田彝さんの心はひどく震えたのだと思います。
幾多の困難の後、零下20度以下できちんと冷凍保管しうる設備が確保された地区からワクチンの投与が始まり、間もなく発症者がゼロとなる現在に至る尊い事業がスタートしたのでした。一方の峰英二さんは、もともと泌尿器科の医師でした。潜水艦の従軍医師だったのですが、なにかの行き違いで指定の潜水艦に乗れませんでしたが、その潜水艦は時を待たずして撃沈されます。氏は「もともとあのときに死んでいた自分なのだから」と、インドでのボランティア活動に身を捧げます。
お二人はどちらも麹町ロータリークラブの会員でした。この麹町ロータリークラブの事業とこの巨大なロータリアンの挺身がのちに国際ロータリーの大事業に発展してゆくのでした。
二人はこの事業の途中でインドの風土病に冒され日本で1988年1989年と相次いで他界されます。
ポリオ・プラスの「プラス」は、ポリオ(急性灰白脊髄症)のほか、はしか、ジフテリア、破傷風、百日咳、結核という「プラス」と呼称される疾病の総称です。
今、ごく普通に話題になっていて、実感として当時の苦労は感じませんが、あの時代、二人の巨星がどれほどの苦労の末に、私どもにこの事業の橋渡しをしてくださったのか、少し分かるようになりました。
社会奉仕活動は言うほど簡単なものではありませんが、まず言葉にして志し、ゴールを思い描き、それまでの過程を計画し、実行のための企画をするという行程を辿ります。巨額の資金や命までとは言いませんが、貴方の時間を少しお貸しください。
新しい年度に新しい理想を語り、それが実行されるであろうことを願い最後の卓話といたします。次週は退任のご挨拶となります。