12年ぶりに会長を務めることになりました。1年間よろしくお願いいたします。前年度の石川会長は,会長の時間は,ロータリークラブに関することを題材にしてお話しして下さいましたが,私も1か月に1回程度は,ロータリークラブに関するお話をするようにいたしたいと思っております。
初回は,シカゴ・ロータリークラブの創立者であるポール・ハリスの人となりについて,紹介します。
ポール・ハリスは弁護士であることは,よく知られた事実ですが,自分の法律事務所を開くまで,実に多種多様な職業を経験しております。それは,アイオワ州立大学ロースクールの卒業式において,旅行をし,新しい体験を重ねることによって自分の人間としての幅を拡げることが大切であると説示されたことに感銘を受けて,5年間だけ旅行しながら,いろいろな職業や仕事を体験する決意によるものです。
ポール・ハリスは,最初にサンフランシスコでクロニクル新聞の記者になり,その後,果樹園で働きながら,カリフォルニアを旅行して,ロサンゼルスで商業学校の教師になっています。
その後,コロラド州デンバーのオールド・フィフティーン・ストリート劇場の俳優,ロッキー・マウンテン・ニュース新聞の記者,プラットビル近くの牧場での牧童,フロリダ州ジャクソンビルのホテルの夜勤事務員を経て,大理石・花崗岩のセールスマンになりました。この大理石・花崗岩の会社はポール・ハリスが生涯の親友となったジョージ・クラークが経営していたものです。
その後,首都ワシントンのワシントン・スター新聞で働き,再び別会社の大理石・花崗岩のセールスマンとなりました。その後,苦労の末,ロンドンに渡り,多くの史跡を訪ねています。帰国したポール・ハリスは,活気溢れるシカゴに興味をそそられ,彼がシカゴに定住する動機となりました。その後,ニューオリンズでオレンジの摘み取りと荷造りの仕事に就き,新聞社に勤めようとしたのですが,叶わず,フロリダ州ジャクソンビルで,大理石・花崗岩のセールスマンに戻りました。1年後に,会社からヨーロッパ出張を命じられ,スコットランド,アイルランド,ベルギー,イタリアの採石場で石材の買い付けをし,この間,ヨーロッパの主な国々を全部廻ったのです。帰国したポール・ハリスは,会社を辞めようととしたのですが,親友となったジョージ・クラークがニューヨーク支店長にするからというので,ニューヨークで生活することになりました。
1896年,5年間の旅行生活を完遂した彼は,2月にシカゴに移り,法律事務所を開設しました。
1900年,ポールは,少年時代を過ごしたバーモント州を訪ね,永住の地と定めたシカゴに親友がいないことに思い至り,シカゴに帰ってから,同業の弁護士に紹介された商店主たちの間に見られる友情関係を形成することができるようなクラブを作ることを思い付いたのです。
5年後の1905年,ポールは,3人の若い実業家 シルベスター・ショール,ガスターバス・ローア,ハイラム・ショーレーと職業の異なる実業家のクラブを作り,様々な仕事や職業を反映したものにするとの構想を発表しました。これが,ロータリークラブの原点です。シルベスター・ショールは石炭商,ハイラム・ショーレーは洋服仕立人,ガスターバス・ローアは鉱山技師です。
これらの事実は,ポール・ハリスの自叙伝「ロータリーの創設者」に詳しく書かれております。米山梅吉氏の和訳本があります。ロータリークラブの創設期の話しはまたの機会にすることといたします。