2年後に東京オリンピックが開催されます。今日は,近代オリンピックについてお話ししたいと思います。近代オリンピックは,フランスのクーベルタン男爵の提唱により,1896年にアテネで開催されました。
その後の1900年のパリ大会,1904年のセントルイス大会は同時期に開催された万国博覧会の付属大会になってしまい,大会運営も不手際が目立つものでした。その後,1908年のロンドン大会,1912年のストック大会からオリンピックとしての体制が整いだしたと言われております。
「近代オリンピックの父」と言われるクーベルタン男爵が,オリンピックを開催しようとした動機は若干複雑です。
1890年頃のフランスは,プロシャとの戦争に敗北して,沈滞ムードがまん延しておりました。愛国主義者のクーベルタンは,フランスの青年の現状を打破する方策を見つけるために,イギリスのパブリックスクールを視察して,イギリスの学生たちが積極的かつ紳士的にスポーツに取り組む姿を見て,感銘を受け,スポーツを取り入れた教育改革を推進する必要があると確信したのです。
このクーベルタンの確信は,当初は,フランスの教育改革のためのものでしたが,次第
に,「国際的競技会」の構想を膨らませました。1852年にドイツの考古学者によってギリシャのオリンピア遺跡が発見されて,古代の競技会への関心が高まっていたこともあって,クーベルタンは,スポーツ教育の理想としての「古代オリンピックの近代における復活」を提唱したのです。
ただし,当時のスポーツを取り巻く状況は,現在のものとは随分違います。スポーツを楽しむことができたのは,貴族や富裕層に属する青年男子だけで,女子や労働者階級の国民には縁遠いものでした。何故ならば,当時のスポーツの目的は,個々の体格では労働者階級に優る貴族や富裕層が全体数では圧倒的に少数であることから,革命の発生に備えるための体力増強にあったからです。サッカーのオフサイドルールも得点差が大きくなって試合に興味を失うことを防止するために採用されたもので,競技者が貴族や富裕層であることを前提としたものでした。
ロータリークラブは,1905年にアメリカのシカゴで創立され,近代オリンピックは,1896年にヨーロッパのアテネで開催されており,同じような時期に,二つの異なる運動が展開されたことは実に興味深いことだと思われます。
クーベルタンは,オリンピック開催のために諸国を訪問した中で,スポーツの持つ「体力増強」以外の「友情」や「平和」に着目し,単なる国際的競技会に止まらない世界平和の実現に寄与する国際的なイベントとしての存在にするための基礎を創った創設者として高く評価されております。